
辻井――富本さんは、まさにモダンだと、僕は感じる。波山になるとね、いいなと思えるけどモダンといえるかどうか。しかしそれは、時代では必ずしもない。江戸時代の浮世絵を見ても、モダンなものがある。あの構図の取り方について、フランス人がビックリして、これはどこの国の何なんだというくらいモダンだった。どうして文学のモダンは、あそこまで説得力をもてなかったのか。そういう意味で富本さんは、明治以後のモダンという意味では先頭に立っている方じゃないでしょうか。
……文学のモダンというと、鴎外や漱石、二葉亭とかから始まるのでしょうか。
辻井――漱石は入ります。二葉亭も入ります。文学は、プツン、プツンて切れちゃって、続いていかない。
……でもやきものも、同じようなものだと思います。波山、北大路魯山人、富本と続き、河井寛次郎、加藤唐九郎など、19世紀末に生まれた近代陶の巨匠たちがズラズラいます。そのあと途切れて、いまはやきもの表現の全盛時代だと思いますけれども、4万人もいるといわれる陶芸家のうち、頂点の10人、20人だけですから。
やきものは確かに、土をこねるというところから始まる、形を成すものとしての強さがあると思います。まず胎(たい)というものがなければ、やきものは始まりません。胎は、そのものが形であり空間を成すものです。しかし、いまの陶芸家はほとんどそれに寄りかかって、くり返しになっていくんです。
辻井――胎を失っちゃった人は、変なインスタレーションになっていくんですね。胎を失ってしまいましたという、告白みたいなものですよ。インスタレーションが100あったらね、二つか三つはいいものがありますけれどもね。まあ、それもぶどまりとしてはいい方でしょうかね。
……それだけあったら大変ですね。
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辻井喬[つじいたかし]
1927年、東京都に生まれる。作家。著書に、『彷徨の季節の中で』(新潮社)、『終わりからの旅』(朝日新聞社)などのほかに、富本憲吉を題材にした『終りなき祝祭』(新潮社)がある。 |
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